あのころは特に土壁に熱くなっていた私たちは、
茨城は真壁町で行われていた「左官教室」に通っていた。
それはプロ向けの土蔵の修理も出来るようになるというプログラムであって、
それはそれで左官職に囲まれてすっかり小さくはなっていたがある意味気が楽ではあった。
ある時先生が竹小舞から仕上げの漆喰磨きまでの壁の見本をつくって来てくれた。

真ん中より上のあたりにひときわ濃い色の土が見える。
真壁に行くたびに色合いが強く変わっていくので、
何なんだこの土は!!!!!。
と強烈に印象に残ったのである。
その後も先生のひとりであった白石左官さんとのご縁は続き、
「山ネバ」“山ネバ”、、、と言うモンで、
あの土はくせが強すぎて、ちょっと、、、。
と言うのを何とか何とかで、
そして、この土のことをOKしてくれた心のオオキイ建て主さんのもと
何とかこの「山ネバ土」の日の目を見た今日のよき日であった。
続く。
そうこの土は続くのである、
どんどん変わっていくのである!!!。
色も割れも。
居間の荒壁の土壁である。
渾身のコテ押さえ。
一旦中塗りまで終えて、
新たに小舞を付けての荒壁であり、
なかなかタイヘンなのである。
この土の塊は湿気を吸ったり吐いたりしてくれる。
水分のやりとりは、すなわち熱のやりとりである。
気化熱の大きさはとてもオオキイ。
あー、うれしいな
そして、この山ネバ荒壁と対をなすのが、
「現代大津白磨き」
もにょもにょでてらてらである。
→壁左匠 白石さん